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ちょい悪かあさん~最終章~

10日間一緒に過ごした女子4人のみなさんとは、また札幌か釧路で再会することを約束して、レッジョでお別れしました(ToT)

ミレッラは

『あと2泊どこへ行く?何が食べたい?何が見たい?』

とあれこれ聞いてきたけれど、さすがの強行軍に疲れたのか、移動はしないで同じ宿にもう2泊することとしました(^_^;)

それまで、ただ1人元気だったリエママはついにバタンキュー!(>_<)

ミレッラとジュセッペにはそれぞれ家に帰ってゆっくりしてもらい、リエママは丸1日半こんこんと眠りについたのでした....

私はそんなリエママに付き合い、1日中部屋で本を読んだり、葉書を書いたり、音楽を聴いたりして過ごしました....

外に出ようにも、車でもなければ、ホントに何もないところだったので....(^_^;)道に迷ってもいけんけーの〜


新聞もインターネットも見られない日々....

英語も通じず、何も情報が得られないと言うのがこんなに不安になるとは思いもしませんでした(>_<)


次の日の午後、リエママは長い長い眠りから目覚めて、やっとむっくりと起き上がりました(^o^;)

天気もいいし、2人っきりで車もないから、ランチを食べたあと近所を散歩に行こうと言うことにしました。

B&Bのオーナーに身ぶり手振りでどこかキレイな景色の所を聞くと(英語が通じないので(^^;)、近くに海岸があると教えてくれました。

ランチで残したりんごやバナナ、ピザをリュックに入れ、私たちは初めてせかされずにのんびりと歩き出しました。

もう初秋とは言え、イタリアの太陽はまだまだギラギラと照りつけていました。


私は、道に迷ったら大変だと思い、周りの目印を覚えるのに必死で、しかも人影もほとんどないので、周囲にガンを飛ばしながら歩いていたので、リエママのことに気を使わないでいましたが、気がつくとリエママはしんどそうに一生懸命歩いているので、私は歩調を合わせてゆっくりと、手をつないで歩くことにしました....

何だかんだと、やっとホントの2人旅になったね....

そんな思いでいましたが、リエママにテレパシーで届いたかどうか....

30分もかけて、やっと海岸に着くと、9月も後半の浜辺には数人の釣りびと以外に人はいなかった....

私達は砂浜に腰をおろし、しばらく無言で海を見つめていました....


私はこの激動の2、3年のことをいろいろと思い返し、この海の向こうで悪戦苦闘してもがきながら生きてきた自分のことを客観的に見つめていました....

そして、つい3~6ヵ月前に秋葉原や土浦で立て続けに無差別殺人が起きた、何かがおかしくなりつつある祖国日本のことも....
(秋葉原事件の時は、ちょうど事件直後、山の手線で通り掛かり、尋常じゃない人だかりの光景を目にしました)

不景気とは言え、イタリアに比べたら、ずっとずっと物や食が溢れ、何もかも(労働力までも)が使い捨てにされている現状....

ついその2年くらい前までは、『人の心も金で買える』と豪語していたホリエモンが『時代の寵児』ともてはやされ、世の中は拝金主義がまかり通り、若者までが、『大学を卒業したら汗水垂らして働くことよりもPCで株のトレードをして、楽に金儲けしたい!』などと唖然とするようなことを言っていた。
(これを『大きな夢』と言っていたのだから、いやはや....(-_-;))

新聞紙上では毎日のように

『○○会社は勝ち組だ』

だの

『負け組だ』

だのと、実にイヤな言葉が踊っていた。
(余談ですが、ホリエモンを最初に見た時から、イヤ〜な『気』を感じて『この人は必ず失脚するな(-_-;)』と思っていました....ただのカンですが_(^^;)ゞ)

私はもう、

『結果を残せない人間は敗者』

と言う、世間の風潮に辟易していた....


東京を離れようと決意した頃は、私はもう音楽もやめてしまおうとも考えていたのでした....

物質主義、拝金主義、経済至上主義の日本はこれからどんな運命をたどるのか....


そう言えば、日本を離れる直前に福田首相が、ぶら下がり会見のときに

『私はあなたとは違うんです!(-_-;#)』

と、記者に言って、辞任会見していたけれど(このセリフは流行語となり「ネット流行語大賞2008」に選ばれた)....その後、日本の政治はどうなっているんだろう....

(数日後…帰国すると、福田内閣は総辞職し、麻生内閣に代わっていたっ!(@_@))


立ち止まってはいられない....

国と国民(もちろん私も)は嫌がおうでも運命共同体なのだ。

帰って、自分がやるべきことをやろう!

そして、自分達で

『物ではなく、心が豊かな国』

にしていかないと!


....少し陽も陰って、肌寒くなって来たので、

『もう帰ろうか....』

と、リエママに語りかけると、リエママも73年の人生を思い巡らしていたのか、しばらく遠くを見つめ、うん....と頷いた....

私以上にリエママの苦難の人生には、深い年輪が刻まれている....


そうだ....私には、北海道に帰ったらもうひとつしなければいけないことがあった....

それは

『リエママへの親孝行、そして、家族や友人との絆を大切にしていこう』

初めてのこんな想いに、なんだか心がホカホカと温かくなり、宿までの道のりをリエママと手をつないでゆっくり歩いて帰ったのでした....

(今度、生まれ変わってもまたリエママとは母娘で、またこうして旅をしようね)





ただの旅行記が、なんでこう言う重〜い話になるかの〜_(^^;)ゞ
山崎豊子の読み過ぎ?

あ、結局、『ちょい悪かあさん』の由来を書いてにゃいっ(@_@)

次回....(^o^;) to be continued 〜
by ururu1123 | 2012-06-01 13:05